
私たちは、色々と抱え込みすぎなんです。
仕事、人間関係、お金のこと、将来のこと。
さらに今は、スマートフォンを開けばニュース、SNS、動画、健康情報まで、ほぼ無限に情報が流れ込んできます。
少し前までなら知らずに済んでいたことまで、今では簡単に知ることができます。
もちろん、これは便利なことです。
しかしその一方で、「情報を得ること」が、かえって不安や疲労を増やしてしまうこともあります。
特に身体に痛みや不調があるときには、注意が必要です。

人間の脳は、無限に情報を処理できるわけではありません
人間の脳は非常に優秀ですが、処理能力が無限にあるわけではありません。
ところが現代では、朝起きてスマートフォンを見た瞬間から、ニュース、メール、LINE、SNS、広告など、次々に新しい情報が入ってきます。
しかも、脳は入ってきた情報をすべて同じように扱うわけではありません。
特に注意を向けやすいのが、「危険かもしれない情報」です。
これは人間が生き残るうえでは、とても重要な性質でした。
「茂みの向こうに何かいるかもしれない」
「この食べ物は危険かもしれない」
そうした情報を素早く察知できる個体のほうが、生存には有利だったからです。
ところが現代では、この仕組みが別の形で働きます。
たとえば腰が痛くてインターネットを検索したとします。
「腰痛の多くは深刻な病気ではありません」
という情報よりも、
「その腰痛、重大な病気のサインかもしれません」
という見出しのほうが気になってしまう。
思い当たる方もいるのではないでしょうか。
調べれば調べるほど、不安になることもあります
身体に不調があると、その原因を知りたくなるのは当然です。
しかし、
症状を検索する
↓
怖い病気の情報を見る
↓
不安になる
↓
さらに詳しく検索する
という循環に入ってしまうことがあります。
最初は「安心するため」に調べていたはずなのに、気づけば検索する前より不安になっている。
これは決して珍しいことではありません。
健康情報は特に、「念のため」「もしかしたら」という表現が多くなりがちです。
そのため、自分に当てはまる情報を探し続けているうちに、「自分の身体はかなり悪いのではないか」と感じるようになることがあります。
不安や恐怖は、痛みとも無関係ではありません
痛みは、単純に身体の損傷だけで決まるものではありません。
特に痛みが長引いている場合には、
不安、恐怖、ストレス、睡眠不足、過去の経験、痛みに対する考え方など、さまざまな要因が影響します。
たとえば、
「この腰は壊れている」
「動いたらもっと悪くなる」
「一生治らないかもしれない」
という情報を何度も目にすると、身体に対する警戒が強くなります。
すると脳は、同じ身体からの信号であっても、より危険なものとして受け取りやすくなることがあります。
これは「気のせい」という意味ではありません。
痛みそのものが、脳によって作られる感覚だからです。
言葉や情報によって症状が悪化する現象は「ノセボ」と呼ばれることもあります。
だからこそ、健康情報は「たくさん集めれば集めるほど良い」とは限りません。
「必要な情報を得ること」と「情報を集め続けること」は違います
もちろん、正しい情報を知ることは大切です。
身体に異常があるなら、必要な検査や医療を受けることも重要です。
しかし、「必要な情報を得ること」と「安心できるまで情報を探し続けること」は別の話です。
特にSNS上の体験談は注意が必要です。
同じ「腰痛」「肩こり」「しびれ」という言葉でも、原因や状態は人によってまったく違います。
他人の体験談が、そのまま自分にも当てはまるとは限りません。
不安になったときほど、検索結果を何十件も見るより、信頼できる情報源を確認する。
それでも分からないことがあれば、専門家に直接相談する。
そのほうが、結果的に遠回りをしないことも多いでしょう。
脳にも「情報が入ってこない時間」が必要です
現代では、何もしない時間がずいぶん減りました。
電車に乗ればスマートフォンを見る。
食事中にも動画を見る。
寝る直前までSNSを見る。
常に何かの情報が脳に入っています。
だからこそ、意識して「情報が入ってこない時間」を作ることも大切です。
たとえば、
寝る前はニュースを見ない。
症状について検索する時間を決める。
スマートフォンの通知を減らす。
散歩をする。
お風呂に入って、何も見ずにぼんやりする。
それくらいでも構いません。
すべての情報から離れる必要はありません。
ほんの少し、脳への入力を減らしてあげるだけです。
すべてを解決しなくても大丈夫です
痛みが長く続くと、
「本当の原因を見つけなければ」
「もっと良い治療法があるのではないか」
「まだ何か重大なことを見落としているのではないか」
と考え、情報を探し続けてしまうことがあります。
しかし、ときには、
「もう十分調べた」
と区切ることも必要です。
私たちは、知らなくてもよかったことまで知ることができる時代に生きています。
便利になった一方で、脳が抱えるものは確実に増えました。
すべてを理解しなくてもいい。
すべてに反応しなくてもいい。
そして、すべてを抱え込まなくてもいいのです。
……抱えこんでいるんだ、色々とな!






