
目次
1.痛みの前提理解
国際疼痛学会(IASP)は、痛みを以下のように定義しています。
痛みとは、実際の、または潜在的な組織損傷に関連した、あるいはそれに似た、感覚的かつ情動的な体験である。
この定義が示す通り、
痛みは単なる侵害受容入力ではなく、中枢で構成される体験です。
臨床上、
- 画像所見と痛みの程度が一致しない
- 器質的異常が改善しても痛みが残存する
- 不安・恐怖・予測が痛みを増幅する
といった現象は日常的に観察されます。
催眠療法は、この「痛みを構成している中枢過程」に介入する方法の一つです。
2.催眠療法の位置づけ
本稿で扱う催眠療法は、
- 暗示による支配(そもそもできない)
- 痛みを強引に消失させる方法
- 医療行為の代替
ではありません。
催眠とは、
注意・知覚・身体感覚の統合が変化し、自己調整が行いやすくなった脳の状態
と捉えています。
したがって、催眠療法は
薬物療法・神経ブロック・理学療法と競合するものではなく、患者さん自身の自己調整能力を回復させる補完的アプローチです。
3.痛みに対する催眠療法の基本的な適応
主な適応は以下です。
- 慢性痛(腰痛、頸肩部痛、原因不明の疼痛など)
- 検査所見と症状の乖離が大きいケース
- 痛みに対する恐怖・警戒が強いケース
- 治療依存傾向が強い患者への自己管理能力の回復支援
一方で、
- 明らかな器質的損傷や悪性腫瘍が主因の場合
では、補助的役割に留まります。
4.当院での臨床的アプローチ(選択順)
以下は、実際に臨床で用いている
痛みに対する催眠的介入の選択順です。
※必ずしも全例で順番通りに行うものではありません。
フェーズ1|状態調整(基盤形成)
① 深い催眠誘導(弛緩反応の誘発)
まず、可能な範囲で深い催眠状態を体験してもらいます。
- 脳・身体の過緊張の解除
- 自律神経バランスの調整
- 痛み記憶由来の防御反応の低下
この段階だけで、
痛みが劇的に軽減する症例も少なくありません。
② 自己催眠法の指導(セルフペインマネジメントの確立)
深い催眠状態を体験した後、
患者さん自身が再現可能な方法として自己催眠法を指導します。
自己催眠は、
- 痛みを外から「取ってもらう」方法ではなく
- 痛みの強度や注意の向きを
自分で調整できる状態を作る技法
です。
具体的には、
- 催眠状態への入り方
- 呼吸や身体感覚を用いた集中の方法
- 催眠状態という脳が弛緩した状態を用いて痛みの「音量」や「質」を調整
などを段階的に習得してもらいます。
併せて、
- ペインコントロール
- 自律訓練法
- 漸進的筋弛緩法
を状況に応じて組み合わせ、
日常生活の中でも実施できるセルフケアとして定着させます。
この段階の目的は、
- 痛みに対する恐怖・警戒心の低下
- 「自分で対処できる」という自己効力感の回復
- 痛みの再燃・慢性化の予防
です。
結果として、
治療への依存を作らず、長期的な予後改善につながるケースが多く見られます。
フェーズ2|身体イメージ療法
③ 光体心像法などのイメージ技法
白隠禅師の軟酥の法などに代表される、
身体感覚とイメージを統合する方法を用いることがあります。
これは東洋的表現を用いていますが、
実際には高度な身体イメージ療法と考えています。
フェーズ3|必要時の催眠分析・再学習
基盤が整った後、必要に応じて以下を選択します。
・自分との対話法
現在志向で安全性が高く、
無意識を視覚化し、対話する方法。
・退行催眠(限定的)
自分との対話法で充分なことが多いので、原則として用いませんが、ケースによってはディソシエイトを中心に慎重に使用することがあります。
・症状転移
例:痛みが別部位へ移動可能かを確認
→ 痛みの性質理解や認知変容の契機となる場合があります。
・後催眠暗示
特定のトリガーに対する反応パターンの修正。
例:右肩が痛い場合、「催眠から覚めた後、あなたの右肩を痛めつけている人に会うと、左肩が痛くなります。」などと暗示。
補足|原則用いない、または慎重な手法
以下は原則として積極的には用いません。
- 直接暗示(失敗時の影響が大きい・暗示で人は変えられない)
- 前世療法・未来進行催眠(あるかないかも証明できませんし、自分から出てきたイメージが悪いものだった場合、術者からのコントロールが不能になり、患者さんを深く傷つけます)
- 自動書記(だいたい何書いているかわからない)
- 過度なプラセボ操作(副産現象)
技法の「多さ」よりも、
安全性と再現性を重視しています。
5.催眠反応性と限界
研究および臨床経験上、
- 催眠にほぼ反応を示さない人は
人口の約1〜2%
とされています。
そのため、
- 催眠が万能である
- すべての患者に適応できる
とは考えていません。
反応が乏しい場合は、
無理に催眠を継続せず、他の方法を選択します。
6.他職種・医療機関との連携
催眠療法は、
- 薬物療法
- 神経ブロック
- 理学療法
- 他の心理療法
と併用可能です。
当院では、
既存の医療を否定せず、
患者さんの生活機能と自己管理能力を高める役割を担います。
7.まとめ
痛みに対する催眠療法は、
- 痛みを消す技術ではなく
- 痛みを構成している中枢過程を調整し
- 患者自身が回復に関与できるようにする
補完的ペインマネジメント手法です。
慎重な評価と段階的介入を行うことで、安全かつ有効に用いることが可能です。


