
痛みは、血圧や体温のように数値で測ることができません。
レントゲンやMRIのように、はっきりと目に見えるわけでもありません。
だからこそ、他人がその痛みを正確に推し量ることは、とても難しいのです。
国際疼痛学会(IASP)は、痛みを次のように定義しています。
「不快な感覚性・情動性の体験であり、実際の組織損傷を伴う場合、またはそのような損傷があるように表現される場合がある。」
つまり、痛みとは“個人の体験”なのです。
この定義が示しているのは、「外からは完全には分からない」という事実です。
どれほど医学的知識があっても、どれほど近しい関係であっても、その人が感じている痛みの質や強さを100%理解することはできません。
それにもかかわらず、
「そんなに大したことないでしょ」
「気のせいじゃないの?」
「昔はそのくらい我慢したものだ」
といった言葉が向けられることがあります。
痛みを抱えている方にとって、これはとてもつらいことです。
そして厄介なのは、こうした言葉そのものが、さらに痛みを強める可能性があるという点です。
痛みは単なる“組織の問題”ではありません。
脳や感情、安心感や不安と深く関係しています。
否定されたり、理解されないと感じたりすると、身体はより警戒モードに入り、痛みが増幅することもあります。
日本には「我慢は美徳」という文化的背景があります。
「昔はそれくらいで病院には行かなかった」という言葉もよく耳にします。
しかし、痛みに関して言えば、我慢はプラスに働くことはほとんどありません。
急性痛の段階で適切に対処することは、慢性化を防ぐうえで非常に重要です。
(慢性痛が改善しないという意味ではありません。早期対応がより有利ということです。)
痛みは見えません。
だからこそ、痛がっている人に対して軽く扱う言葉を投げかけることは、慎重であるべきだと思います。
その人にとっては、まさに“人生の一大事”なのです。
そしてまず必要なのは、
「それはつらいですね」と受け止める姿勢なのかもしれません。



