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数ヶ月前、ご紹介で来院された患者さんのお話です。
その方はこれまで大きな病気もなく、健康にはかなり自信を持っていました。
「私は身体だけは丈夫だから」
そう思っていたそうです。
ところが、ある日、一箇所に痛みが出ました。
最初はそれほど気にしていなかったそうですが、なかなか改善しません。
すると少しずつ不安が大きくなっていきました。
「どうして治らないのだろう」
「このまま悪くなったらどうしよう」
そんなことを考えるようになったそうです。
そして気が付くと、最初の痛みだけではなく、首、肩、腰など身体のあちこちが気になるようになっていました。
痛みが広がったのでしょうか?
もちろん、実際に新たな問題が起きている場合もあります。
そのため、まずは病気やケガの有無を確認することが大切です。
しかし、検査で大きな異常が見つからないにもかかわらず、身体のさまざまな場所が気になるようになる方も少なくありません。
このような場合、私は「痛みが広がった」というよりも、「警戒範囲が広がった」と考えることがあります。
私たちの脳は危険を見つけることが得意です。
一度強い痛みや不安を経験すると、
「また何か起きているのではないか」
と身体を監視し始めます。
すると、これまで気にも留めなかった違和感まで気になるようになることがあります。
身体への信頼が揺らぐと
健康な時は、自分の身体をあまり意識しません。
歩くことも、階段を上ることも、荷物を持つことも当たり前です。
ところが痛みが続くと、
「この動きをして大丈夫だろうか」
「また痛くなるのではないか」
と考えるようになります。
身体が壊れたわけではなくても、身体への信頼が揺らいでしまうのです。
そして、その不安がさらに身体への注意を強め、痛みを感じやすくすることがあります。
不安や恐怖が強くなると、慢性痛のサイクルに入りやすくなります
痛みが続くと、どうしても不安になります。
「また痛くなったらどうしよう」
「この動きは危ないのではないか」
「何か見落とされているのではないか」
そう考えるのは、決して弱いからではありません。
むしろ、身体を守ろうとする自然な反応です。
ただ、その警戒が強くなりすぎると、少しずつ慢性痛の負のサイクルに入りやすくなることがあります。
たとえば、痛みが怖くなる。
すると、動くことを避けるようになる。
動かない時間が増えると、筋肉や関節の感覚が過敏になったり、体力が落ちたりします。
さらに、できないことが増えることで気分も落ち込みやすくなり、身体への注意はますます強くなります。
その結果、痛みそのものが大きな損傷を意味していなくても、脳が「まだ危ない」と判断しやすくなることがあります。
少し意外かもしれませんが、痛みを長引かせる要因は、痛みの強さそのものだけではありません。
「痛みをどう解釈しているか」
「痛みによって何を避けるようになったか」
「身体をどれくらい危険なものとして見ているか」
こうした要素も、慢性痛には関係していると考えられています。
実際に、慢性痛の研究では「恐怖回避モデル」という考え方があります。
VlaeyenとLintonのレビューでは、痛みに対する恐怖や破局的な考え方が、回避行動や活動量の低下につながり、慢性的な痛みや生活上の支障を維持する一因になり得ることが示唆されています。
また、2022年のメタ分析でも、痛みに対する恐怖、回避、破局的思考などは、痛みの強さや心理的苦痛、生活上の障害と関連する傾向が報告されています。もちろん、これらは「不安があるから必ず慢性痛になる」という意味ではなく、複数の要因が関係する中での一つの見方です。
だからこそ大切なのは、不安を無理に消そうとすることではありません。
まずは、
「怖くなるのは自然な反応」
「でも、怖さが強すぎると身体はさらに警戒しやすい」
と理解することです。
ここで一度、立ち止まって考えてみてもいいかもしれません。
本当に怖いのは、痛みそのものでしょうか。
それとも、「自分の身体がもう信じられない」という感覚でしょうか。
慢性痛からの回復では、痛みをゼロにすることだけを目標にするよりも、少しずつ安全な動きを増やし、「動いても大丈夫だった」という経験を積み重ねることが大切になる場合があります。
それは無理をするという意味ではありません。
身体に確認しながら、できる範囲を少しずつ広げていく。
その積み重ねが、脳にとっての「安全の再学習」になることがあります。
大丈夫です。
痛みが続いているからといって、身体がどんどん壊れているとは限りません。
不安や恐怖が強くなっているときほど、痛みだけを見るのではなく、身体への信頼をどう取り戻すかという視点が大切になってくるのです。
症候移動という考え方
このように、身体への信頼を失うことで痛みが広がったように感じる方がいます。
一方で、慢性症状の中には少し違うパターンもあります。
それが「症候移動(syndrome shift)」と呼ばれる現象です。
慢性症状の世界には「症候移動(syndrome shift)」という考え方があります。
例えば、
腰痛が良くなったと思ったら肩が痛くなる。
肩が落ち着いたと思ったら胃の不調が気になる。
胃が良くなったら今度はめまいが気になる。
そんなケースです。
もちろん、症状が出たらまず病気の有無を確認することが大切です。
しかし、検査をしても大きな異常が見つからない場合には、症状そのものが問題なのではなく、症状を生み出している背景に目を向ける必要があることがあります。
睡眠不足。
過労。
ストレス。
人間関係。
完璧主義。
将来への不安。
これらが変わらないままでは、症状だけが形を変えて現れることがあります。
身体への自信喪失型
「身体が壊れたのでは?」
↓
警戒モード
↓
痛み増加
症候移動型
根本課題が未解決
↓
症状だけが変化
↓
別の形で現れる
身体からのメッセージかもしれません
睡眠不足。
過労。
ストレス。
人間関係の悩み。
将来への不安。
完璧主義。
我慢のし過ぎ。
こうしたものが積み重なっているとき、身体はさまざまな形でサインを出すことがあります。
症状だけを消そうとしても、根本にある課題が変わらなければ、別の形で現れることがあります。
私はこれを、
「身体(無意識)が意識に対して送っているSOS」
と考えることがあります。
本当に取り戻したいもの
痛みが減ることはもちろん大切です。
しかし、慢性痛の回復ではもう一つ大切なことがあります。
それは、
「私はまだ大丈夫」
という身体への信頼を取り戻すことです。
身体は思っている以上に丈夫です。
回復する力も持っています。
もし今、痛みが続いているとしても、必要以上に身体を怖がらなくて大丈夫です。
痛みばかりを見るのではなく、
睡眠はどうか。
運動はどうか。
ストレスはどうか。
生活はどうか。
そんな視点も持ちながら、自分の身体との信頼関係を少しずつ取り戻していきましょう。
それもまた、回復への大切な一歩なのです。
実は私自身も、身体に自信があった人間です。
だからこそ、身体への信頼を失ったときの不安も少し分かる気がします。
しかし振り返ってみると、壊れていたのは身体そのものではなく、「身体への信頼」だったのかもしれません。
もし今、痛みに振り回されているなら、まずは身体を敵ではなく味方として見てあげてください。
そこから回復が始まることもあるのです。







