
目次
1.「神経圧迫が痛みを起こす」という仮説の起源
1911年、Goldthwaitは「椎間板突出が坐骨神経痛を引き起こす可能性」を示唆しました。
1934年、MixterとBarrが手術例を報告し、以後「神経根圧迫=痛み」という図式が広まりました。
この仮説は現在も臨床で広く用いられています。
MRIで神経根近傍に突出を認めれば、
「圧迫しているから痛い」という説明は自然に聞こえます。
しかし――
生理学的にはこの説明は必ずしも単純ではありません。
2.神経線維は“途中”で痛みを発生させるのか
痛覚の基本原理は以下の通りです。
- 痛みは末梢の侵害受容器が刺激されて発生する
- 神経線維はその信号を伝導する役割を担う
熊澤孝朗(名古屋大学名誉教授)は『痛みを知る』で、
神経線維は通常、その末端にある受容器からの信号を伝えるものであり、その途中が興奮を起こすことはない。
と述べています。
横田敏勝(滋賀医科大学名誉教授)も『臨床医のための痛みのメカニズム』において、
- 正常な神経根を圧迫しても痛みは生じない
- 損傷や炎症が加わった神経では異所性発火が起こりうる
と整理しています。
動物実験でも、
- 正常神経根の機械的圧迫では持続的侵害受容活動は誘発されない
- 既に損傷を受けた神経根では異常発火が持続する
ことが報告されています。
つまり、
単なる圧迫だけで痛みが生じるとは言えないのです。
3.画像所見と症状の不一致
1995年 Amundsenら(Spine)は、
腰部脊柱管狭窄症患者100名を対象に
画像所見と臨床症状の関連を検討しましたが、
明確な相関は認められませんでした。
さらに、健常者を対象とした研究では、
- Bodenら(1990):無症候者の76%に椎間板ヘルニア
- Jarvik & Deyo(2002):椎間板変性は加齢に伴い極めて一般的
など、無症候性の構造変化が高頻度に存在することが報告されています。
つまり、
「画像異常=症状の原因」とは限らない
ということになります。
4.手術と保存療法の長期成績
坐骨神経痛を伴う椎間板ヘルニアに対する研究では、
- 短期的には手術群が優位となる場合がある
- しかし長期的(4年以降)には保存療法との差が消失する
とするRCTが複数存在します。
また、
- 手術率の高い地域が必ずしも治療成績が良いとは限らない
- 多くの症例は時間経過とともに改善する
ことも報告されています。
これは「圧迫=不可逆的損傷」という単純モデルとは整合しません。
5.臨床現場で観察される現象
実際の臨床では、
- トリガーポイント刺激で症状再現が可能
- 筋緊張緩和で神経症状が軽減
- 運動療法でしびれが改善
- “麻痺”と診断された筋力低下が即時回復
といった現象が観察されます。
これらは、
- 神経感作
- 脊髄レベルの増幅
- 下行性疼痛抑制系(CPM)の機能低下
- 心理社会的要因
などを考慮した方が整合的に説明できます。
6.椎間板ヘルニアは「犯人」なのか
椎間板ヘルニアが無関係だと言っているわけではありません。
しかし、
- 圧迫のみで痛みが生じるとは限らない
- 画像所見は症状と一致しないことが多い
- 多くは保存療法で改善する
という事実は無視できません。
椎間板ヘルニアは
「犯人」なのか
それとも
「その場に居合わせた所見」なのか。
痛みは、構造だけで説明できるほど単純ではありません。
ただし、手術が必要となる症例も存在します。しかし、画像所見だけで痛みを決定づけることは慎重であるべきです。
まとめ
✔ 神経は通常、途中で痛みを発生させない
✔ 正常神経根の圧迫は痛みを生まない
✔ 無症候性ヘルニアは非常に一般的
✔ 手術の長期優位性は限定的
✔ 痛みは多因子モデルで考える必要がある
画像は重要な情報です。
しかし、それだけで痛みを決めつけることはできません。
参考文献
Amundsen, T., Weber, H., Lilleås, F., Nordal, H. J., & Magnaes, B. (1995). Lumbar spinal stenosis: Clinical and radiologic features. Spine, 20(10), 1178–1186. https://doi.org/10.1097/00007632-199505150-00013
Boden, S. D., Davis, D. O., Dina, T. S., Patronas, N. J., & Wiesel, S. W. (1990). Abnormal magnetic-resonance scans of the lumbar spine in asymptomatic subjects: A prospective investigation. The Journal of Bone and Joint Surgery, 72(3), 403–408.
Jarvik, J. G., & Deyo, R. A. (2002). Diagnostic evaluation of low back pain with emphasis on imaging. Annals of Internal Medicine, 137(7), 586–597. https://doi.org/10.7326/0003-4819-137-7-200210010-00010
Weinstein, J. N., Tosteson, T. D., Lurie, J. D., et al. (2006). Surgical vs nonoperative treatment for lumbar disk herniation: The Spine Patient Outcomes Research Trial (SPORT). JAMA, 296(20), 2441–2450. https://doi.org/10.1001/jama.296.20.2441
Weinstein, J. N., Lurie, J. D., Tosteson, T. D., et al. (2008). Surgical vs nonoperative treatment for lumbar disk herniation: Four-year results for the Spine Patient Outcomes Research Trial (SPORT). Spine, 33(25), 2789–2800.
熊澤, 孝朗. (1996). 痛みを知る. 東方出版.
横田, 敏勝. (1997). 臨床医のための痛みのメカニズム. 南江堂.


